fc2ブログ

みゆき通り

銀座には、東西南北に色々な通りがある。
下の写真のみゆき通りもそうなんだが、こんなにある。


南北に延びる道路を西からの順
銀座コリドー通り
数奇屋通り
東京都道405号外濠環状線(西銀座通り・外堀通り) - 数寄屋橋交差点より南西側が「西銀座通り」
ソニー通り
並木通り
西五番街
金春通り・すずらん通り・ガス灯通り
中央通り - 銀座通過部分は「銀座通り」
信楽通り・あづま通り
三原通り
昭和通り

東西に延びる道路を北からの順
銀座桜通り
銀座柳通り
銀座マロニエ通り
松屋通り
東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線(晴海通り)
みゆき通り
交詢社通り
花椿通り(かっては出雲通りだったが資生堂が買収)
御門通り


やはり、さすが『銀座』で栄えた街だ。
辞典ウィキペディアには・・・


1600年、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し、江戸の重要性が高まると、1603年、第一回目の天下普請が行われ、日比谷入江の埋め立てと京橋地区の整備が進められた。
1604年には東海道が整備されたが、銀座の都市基盤の整備は1612年の第二回目の天下普請まで待つことになる。
整備は、京間10間とした東海道(銀座通り)を中心にグリッド状に設計され、それぞれの街区の中央には会所地が設けられた。
町割りは金座御金改役で家康の側近でもあった後藤庄三郎を中心に行われた。

町人地として整備が行われた銀座には、1612年に駿府にあった銀座役所が移転し、後の1800年に蛎殻町(現在の日本橋人形町一丁目付近)に再び移転するまで、貨幣の鋳造が行われた。当時、通町京橋より南一丁目〜四丁目までを拝領して新両替町と称し銀座人らが住居を構え、新両替町二丁目東側南角に常是役所、この北隣に銀座役所が設けられた。
常是役所は現在の第一三共ビル付近、銀座役所は現在のティファニー銀座ビルの位置に相当する。
1715年には大判座の後藤屋敷が一丁目に移転してきた。これらの場所は現在の銀座一丁目から四丁目にあたる。


とこんな記載がある。
日本の中心地だけにその歴史を紐解くのもいいものだ。



   DSC00712_convert_20101001195548.jpg    DSC00713_convert_20101001195631.jpg


スポンサーサイト



テーマ : ブログや日記 - ジャンル : ブログ

QRコード作成
写真・画像のWEB加工