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たたら製鉄

「たたら製鉄」という表題を書いたが、一般的には古代から伝わる製鉄法であるこのたたら製鉄について知っている人はあまりいないのではないかと思う。

たたら製鉄(たたらせいてつ、英:Tatara)とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。
砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。
近代の初期まで日本の国内鉄生産のほぼすべてを担った。
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このように書かれている。

特に中国山地では、良質の砂鉄が採取されたことから、この地方で製鉄された鉄は全国シェアを独占していた。
ところが、明治時代に入ると海外から近代製鉄技術が入ってくるや徐々にたたら製鉄は衰退し、戦後たたら製鉄の火は消えてしまった。
しかし、日本刀を制作には、たたら製鉄によって作られる「玉鋼(たまはがね)」は欠かせない作刀材料であることから、日本美術刀剣保存協会(日刀保)が、日本で唯一島根県奥出雲町に「日刀保たたら事業所」を操業し、日本刀の原料となる「和鋼・玉鋼」を生産している。

先日、機会があってこの日刀保たたら事業所の見学をすることができた。

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ここでは、国選定保存技術保持者で日刀保たたらの村下(むらげ)木原明さんのたたらについての講義を受け、実際のたたら製鉄の行われる現場での解説もしていただいた。
残念ながら撮影禁止ということで、たたらの撮影をすることは出来なかった。

2枚めの写真の高い煙突のある建物の先の建物がたたらのある場所だ。

日刀保たたらを見学した後は、昔たたら製鉄をしていた卜蔵(ぼくら)家庭園にある「椿庵」で昼食を摂った。

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これに、割子そば1枚が付き、丁度よい量の昼食だった。
たぬきが驚いたのは、ムクゲの花の天ぷらがあったことだった。

昼食の後は、卜蔵家が創業していたという「原たたら」の跡地を訪れた。

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現在では更地になっていたりして分かりづらいが、上のような看板があり往時を偲ぶことが出来た。
この看板の側に小さな水車が回っていたのが印象的だった。
水車が回っている様子は、たぬきのフェイスブックに掲載しておこう。
          
         


毒ガスの島

昨日、瀬戸内海に浮かぶ「毒ガスの島」へ行ってきた。
たぬきが、久しぶりにブログを書くと何ともぶっそうなタイトルだと思われるかもしれない。

広島県竹原市にある「大久野島」というのが、この島の名前。
この島では、大日本帝国陸軍が太平洋戦争で使用するために秘密裏にここで毒ガスを製造していた。
周囲が4㎞程度の小さな島で恐ろしい毒ガスが製造されていたとは・・・
そう思うと戦争というものの残虐性を感じる。

一方、この島には、今でも毒ガスの関連施設が残されており、戦争の遺構として貴重なものだとも思った。

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島の船着場から上がった所にこのような島の案内板がある。

そして、陶磁器製毒ガス製造器具が展示してある。

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また、しばらく歩いて行くと毒ガス資料館や毒ガス研究所跡がある。 

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昨日は、熱さも厳しくこの島の全ての関連施設を訪れることはできなかったが、悲惨な戦争の一端を垣間見ることができた。

大久野島(おおくのしま、おおくのじま)は、瀬戸内海芸予諸島の一つであり、広島県竹原市に属する有人島。

「ウサギの島」「毒ガスの島」として知られる。

この島では、昭和4年(1929年)から昭和20年(1945年)まで、太平洋戦争で使用するための毒性のガスが大日本帝国陸軍によって秘密裏に製造されていた。
この時代まで島内には民家7戸・住人数10人がおり農耕を営んでいたが、毒ガス製造が始まった時に強制退去となった。

作られていた毒ガスの種類は血液剤、催涙剤、びらん剤、嘔吐剤の4種で、戦争末期には風船爆弾の風船部分も作られていた。
毒ガスやそれに関する機器は終戦直後旧日本軍が証拠隠滅を図り海洋投棄し、その後進駐軍が島全体を接収し海洋投棄・埋設・焼夷剤で焼却するなどの無毒化処理が施された。
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このように、広島県には原爆ドームを始めとする戦争に関連する施設がある。
戦争の悲惨さや残虐性について、忘れてはならない人類の記憶として残しておかなければならないと改めて感じた、たぬきだった。



たたら関連施設を訪ねて

本当に久しぶりにブログを書く。
たぬきは、この2ヶ月あまり忙しい日々を過ごしていた。

多くの方に心配をおかけしたようで、本当に申し訳なく思っています。

昨日(6月29日)は、久しぶりに島根県の南東部に位置する奥出雲町へ出かけてきた。
奥出雲町は、広島県と鳥取県に隣接する山間(やまあい)にある。
このあたり一帯は、古代から近代まで「たたら製鉄」が行われた場所でもある。

この日は、4大鐵師といわれる「櫻井家」へ。
そこは、「可部屋集成館」という記念館と櫻井家住宅になっている。

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たたら製鉄で巨万の富を築いた鐵師たちであったが、それまでは廃業に追い込まれそうになった時期もあったと聞く。
いずれにしても、奥深い山の中で製鉄業が行われ、日本刀の材料である「玉鋼」もこの地で精錬されていた。
それには、良質な山砂鉄の「真砂鉄」が採取されたからにほかならない。

たたら製鉄のことについては、いずれまた詳しく書いていこうと思っているが、とりあえず、序章として書き留めておくことにしよう。




出雲国風土記(いずものくにふどき)連続講座(第一講)

今日は、以前から申し込みをしていた
 「出雲国風土記・連続講座」第一講

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が、JR松江駅前の松江テルサで開催された。

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演題は、
 「仏教説話からみる古代の地域社会の諸相」
講師の先生は、
 名古屋市立大学 教授 吉田一彦先生

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先生は、日本の歴史を知るためには、仏教を知らなければならない。
それと同じように、海外の国々の歴史を知るためには、ヨーロッパではキリスト教を、中東ではイスラム教を知らなければ、その国の歴史は分からない。

日本の奈良・平安時代を記した「日本霊異記」には、多くの注目すべき事柄が記されている。
例えば、奈良平安時代には、漁民が存在したという公式記録は無い、しかし、縄文時代から弥生時代を経て現在に至るまで、漁業を生業にした人たちはいたはすである。
先の日本霊異記には、その記述があり、当時の人々が皆、口分田を耕作し、租庸調を収める米作りの農民だった訳ではない。

また、仏教説話の中に、当時の機内から北陸への交通手段や疫病の脅威と仏教のかかわり、中国から伝来した冥界と鬼神などの関係についても明らかにされた。

そうした、古代からの思想が今にも生きている。

日本霊異記には、当時の宗教や思想、時代背景が明確に示されていることに驚いた、たぬきじゃった。



島根県西部地震(2018.04.09)

たぬきは、先週の半ばから数日間、東京に行っていた。
東京では、7日(土)の朝、築地本願寺へ行き、お参りをした。
翌8日は、お釈迦様の誕生日ということもあり、その準備のためだと思うが、本願寺境内にはステージが設けられるところだった。

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本堂には、外国人観光客の姿もあり、入堂した皆さんが阿弥陀如来の前で手を合わせておられる姿に感じ入った。

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本堂の入口付近には、お釈迦様の入っておられる小さな御堂が置いてある。
このお釈迦様に甘茶をかけて、お念仏を唱える。

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たぬきが子どもの頃には、各地のお寺で「花まつり」「灌仏会」ということで、法要が行われていた。
ふと、そんなことを思い出しながら、甘茶をかけてお参りをした。

灌仏会で執り行う法要が「灌仏会法要」である。

日本では、様々な草花で飾った花御堂の中で、甘茶を満たした灌仏桶の中央へ安置した誕生仏像に柄杓で甘茶を掛けて祝うが、釈迦生誕時に産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する。
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こうして、久しぶりに築地本願寺にお参りをすることができた、たぬきじゃった。

さて、東京から帰って来てから、たぬきは季節外れの風邪を引いたようで、二日ばかり寝込んでしまった。

そうしていたところ、9日の午前1時32分ころ地震発生を告げるスマートフォンの大きな音で目覚めた。
緊急地震速報の数秒後に、家が大きく揺れ始めた。
相当大きな揺れを感じたが、ベットの上で動くことも出来ずにいた。
揺れは、10数秒続いたようだが、その間相当長く感じた。
すぐにテレビの電源を入れると、島根県西部の大田市が震源のようだった。

島根県の大田市は、どちらかというと県の中央部に位置している。
ここで震度5強という激しい揺れがあり、被害等も報告された。
幸いたぬきの住む松江市では被害はなかったが、全国各地から地震被害を心配する多くの方から電話をいただいた。
本当にありがたいことだと感じた、たぬきだった。



住職ノート
4月前半の法語です。

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松江城の桜(2018.04.03)

今日は、お天気も良く、絶好の花見日和。
国宝松江城天守の桜を見に訪れる人も多い。

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松江城が国宝に指定されたのは、平成27年7月だった。
多くの桜が咲く中で見る天守閣の趣を感じる。

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もう、僅かしか見ることの出来ない桜の花をゆっくりと観賞するのもいいものだ。

松江城(まつえじょう)は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城。
別名・千鳥城。
現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。
この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。
天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。

小瀬甫庵の縄張りによる平山城。
江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となった。

明治時代初頭に廃城令によって存城処分(陸軍省所管)となったため、城内の建物は国から買い戻された天守を除いてすべて払い下げられ、撤去された。
昭和初期に城山部分は公園として解放され、現在は指定管理者制度に則り、特定非営利活動法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。

城跡は、松江城山公園として利用され、また江戸時代初期建造の天守が現存する。
天守は山陰地方の現存例としては唯一である。
標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。

また、松江城には天守雛形が残されている。
江戸時代制作の天守雛型が残るのは宇和島城・大洲城・小田原城・延岡城・松江城の5城(合計8つ)があり、国宝5城の内では唯一の雛型である。
そのほか、天守内部には松江市街のミニチュア模型が展示されている。
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松江に来たことがない方は、是非、松江城を見に来てほしいものだ。



住職ノート
4月に入り、野に、山に新しい息吹を感じさせてくれています。
西宗寺は、ソメイヨシノ桜が、ヤマ桜が、雪柳が一斉に咲き、花のお寺そのものです。
夜はライトアップして道行く人、近くのアパートの人に楽しんでもらっています。
でもこの光景は、何日続くでしょう。

今月の標語は
 「この両手 タタクトとハレツの音 静かに合わすと 『ご恩有難う』の 声が出ます」
としました。

子供たちが門前を通っていくとき、ふと足を止めていました。
今次、今日、騒々しい世の中に、手を合わす生活、行動を実践していきたいものです。

4月7日は、初参式、仏教婦人会総会。
4月8日はお釈迦様の誕生日です。
忙しい日々の暮らしの中で、新年度、合掌の心を見直してみたいものです。




災害に思う

九州では、豪雨の影響で多くの被害が出ている。
被災された方たちには、心からお見舞い申し上げます。

最初は、島根県西部地方に「大雨特別警報」が発令された。
この時点でたぬきは、昭和58年7月のあの悪夢のような「島根県西部の豪雨災害」を思い出した。
死者103名、行方不明者4名など、被災の規模は想像を絶するものだった。

昭和58年7月豪雨(しょうわ58ねん7がつ ごうう)は、1983年(昭和58年)7月に発生した水害(豪雨災害)である。
激甚災害指定。
気象庁は7月20日から23日までの大雨にこの名前を命名した。

20日から始まった大雨は23日未明からピークとなり中国地方西部で豪雨災害が発生、特に浜田市・三隅町(現浜田市)・益田市と県西部で被害が集中した。
最大1時間降水量は浜田市23日0時40分から1時40分で91mm、益田市23日6時から7時で90mm。
20日0時から23日24時までの4日期間降水量は日本海側ではなく中国山地沿いが多く、軒並み500mmを超えている。

島根県では、この豪雨の11年前である1972年昭和47年7月豪雨で県災害史上最大級の被害にあっているが、県西部に限れば、総降水量は昭和47年豪雨の方が多かったが1時間降水量はこの昭和58年豪雨の方が多かったこと、更に降水が集中したのが昭和47年豪雨では昼過ぎでこの昭和58年豪雨が夜から朝であったことから、県西部にとっては昭和58年豪雨が戦後最大規模の洪水災害となった。

この地は中国山地の北側にあり、そのほとんどが丘陵地で日本海沿岸まで丘陵が迫っている。
そこへ江の川・高津川の一級河川や中小河川が山地率9割つまり狭い谷をぬって流れ、河口部は沖積平野を形成している。
こうした地形から、インフラストラクチャーの多大な被害によって分断され陸の孤島と化した場所が点在し、救護活動に海路をも頼ることになった。
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また、同じような災害が島根県に襲いかかって来るのか・・・
そうするうちに、梅雨前線が南下し、九州地方が大雨となり、この地方に大雨特別警報が発令された。
島根県と同じように、特別警報が杞憂に過ぎればと思っていたのだが、大きな災害をもたらせた。

昨夜も心配して、九州各地の友人宅に電話をした。
幸いにも被災されたところはなかった。
しかし、たぬきの知人・友人には被害がなかったとは言え、多くの方が被災されたことを思えば、よかったでは済まされない。

災害がある度に、考えさせられることなのだが・・・

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住職ノート
7月前半の法語です。

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